2008.03.20 Thursday
難儀な女たち(その2)
昨日、秋田連続児童殺害事件の畠山鈴香容疑者への地裁の判決が出ました。
無期懲役という判決でした。
判決はともかく、裁判官のコメント。
「凶悪、卑劣な犯行で責任は極めて重大。死刑も考えられるが、男児殺害を周到に計画したとはいえないなどの事情を考えると、極刑はちゅうちょせざるを得ない」
「刑事責任は重大で内省が表面的にとどまる被告の性格特性の改善が容易でない」
ポイントは後半の発言。要は無期懲役の仮釈放は慎重にという意味らしい。
その後、畠山被告は傍聴席の被害者家族に対して土下座したとのこと。
結構世間の意見は「良心の呵責があった」など肯定的な意見もあるが、ここで色々問題あるんです。
彼女は境界性人格障害と言われています。
わけあって私はこの性格について勉強する機会がありました。
簡単に説明すると「その場の感情だけで後先考えずに行動する」
「世間では到底理解しがたい自分だけの理屈で行動する」など・・・
例えば自分の娘を殺した理由が「男との関係に邪魔になった」
そして豪憲君を殺したり理由が「私の娘はいないのに、楽しそうにいるから」
普通の人間ならそこで疑問が出るはず
「そもそも、娘に手をかけたのは自分やろうが?」
そこは上に書いた「その場の感情だけで行動する」典型的パターン。
彼女の頭の中では「娘がいなくなったのは自分のせい」という思考が欠落していると思われます。
それで「なんで私だけこんなに悲しい目にあわなくちゃならないの!」と思って2つ目の犯行に及ぶというわけです。
多分、自分の娘への愛情はあったと思うんですが、場面場面の欲求で存在が邪魔なときは我慢ができないので「うっとおしい存在」になる。
でも、いざいなくなると「娘の存在が欲しいときにいない」ということへの不満が出てくる。常識では考えにくい心境ですが、事実です。
後、話が二転三転したというのもウソをついてたんじゃないと思います。
彼女は本当にそう思い込んでいるんです。事実を自分の都合の良いようにインプットする。そうすると当然矛盾が生じる。そうするとそれに対してさらにその場しのぎのつじつま合わせをする。
これを繰り返してできたのが発言。もし、ウソをつこうと思ったらそのあたりの矛盾を消そうとするはずですが、実際そう思い込んでいるので明らかに矛盾していることでも平気で発言します。
「自分のことを棚に上げてよくそんなことを言えるなあ」という発言はこのへんから出てきます。その場だけの感情で経緯は忘れているか、自分の都合の良いように頭の中で修正されて思い込んでいるか・・・。
「土下座しておわびした」この気持ちは間違いなく彼女自身の感情でしょう。パフォーマンスじゃないと思う。
ただ、上で言ったとおりに「その場のみの感情」なんです。
この感情が持続されることはなく、「なんで私ばかりこんな目にあわなくちゃいけないの!?」と180℃変わったりします。
自分がまねいたことなんですが、先ほど言ったように「自分の都合の良い解釈を信じきっている」ため自分が悪いなんて思いません。
そしてやっかいなのは人格障害というものは本人に自覚がない限り、治療することは難しいということ。
人格障害によって発生する症状(躁鬱など)は治ることはあっても根本的な性格が治らない限り、また再発する。
今回の判決に対して「死刑にしろ」とは絶対に言いません。
ある意味、本人には自覚がないというのは正しいと思います。
彼女はある意味「かわいそうな」女性とも言えます。
ただ・・・日本の場合の無期懲役には仮釈放があります。
今の現状では無期懲役といっても15年ぐらいで仮釈放になるそうです。
上の理由があるので有期刑はもちろん仮釈放は危険なんです。
だから今回の裁判官が「仮釈放には慎重に」という苦渋の決断を思わせる内容が出たと考えます。
もし、終身刑が日本にあれば迷わず判決したと思います。
世の中、自分の意志で人を傷つける悪い人間もいます。
彼女の場合はその「意志」はありません。
でも意志がなく人を傷つけるほどこわいことはありません。
そして被害者にとって傷つけられたという事実は変わりないのです。
よく殺人事件で責任能力が問題になりますが、
「責任能力欠如≠悪くない」
被害者にとっては責任能力がどうあれ殺された事実には変わりないんです。
もうすぐ裁判員制度がはじまります。
感情論はいけませんが、もっと被害者の心情というものを考えて欲しいですね。
無期懲役という判決でした。
判決はともかく、裁判官のコメント。
「凶悪、卑劣な犯行で責任は極めて重大。死刑も考えられるが、男児殺害を周到に計画したとはいえないなどの事情を考えると、極刑はちゅうちょせざるを得ない」
「刑事責任は重大で内省が表面的にとどまる被告の性格特性の改善が容易でない」
ポイントは後半の発言。要は無期懲役の仮釈放は慎重にという意味らしい。
その後、畠山被告は傍聴席の被害者家族に対して土下座したとのこと。
結構世間の意見は「良心の呵責があった」など肯定的な意見もあるが、ここで色々問題あるんです。
彼女は境界性人格障害と言われています。
わけあって私はこの性格について勉強する機会がありました。
簡単に説明すると「その場の感情だけで後先考えずに行動する」
「世間では到底理解しがたい自分だけの理屈で行動する」など・・・
例えば自分の娘を殺した理由が「男との関係に邪魔になった」
そして豪憲君を殺したり理由が「私の娘はいないのに、楽しそうにいるから」
普通の人間ならそこで疑問が出るはず
「そもそも、娘に手をかけたのは自分やろうが?」
そこは上に書いた「その場の感情だけで行動する」典型的パターン。
彼女の頭の中では「娘がいなくなったのは自分のせい」という思考が欠落していると思われます。
それで「なんで私だけこんなに悲しい目にあわなくちゃならないの!」と思って2つ目の犯行に及ぶというわけです。
多分、自分の娘への愛情はあったと思うんですが、場面場面の欲求で存在が邪魔なときは我慢ができないので「うっとおしい存在」になる。
でも、いざいなくなると「娘の存在が欲しいときにいない」ということへの不満が出てくる。常識では考えにくい心境ですが、事実です。
後、話が二転三転したというのもウソをついてたんじゃないと思います。
彼女は本当にそう思い込んでいるんです。事実を自分の都合の良いようにインプットする。そうすると当然矛盾が生じる。そうするとそれに対してさらにその場しのぎのつじつま合わせをする。
これを繰り返してできたのが発言。もし、ウソをつこうと思ったらそのあたりの矛盾を消そうとするはずですが、実際そう思い込んでいるので明らかに矛盾していることでも平気で発言します。
「自分のことを棚に上げてよくそんなことを言えるなあ」という発言はこのへんから出てきます。その場だけの感情で経緯は忘れているか、自分の都合の良いように頭の中で修正されて思い込んでいるか・・・。
「土下座しておわびした」この気持ちは間違いなく彼女自身の感情でしょう。パフォーマンスじゃないと思う。
ただ、上で言ったとおりに「その場のみの感情」なんです。
この感情が持続されることはなく、「なんで私ばかりこんな目にあわなくちゃいけないの!?」と180℃変わったりします。
自分がまねいたことなんですが、先ほど言ったように「自分の都合の良い解釈を信じきっている」ため自分が悪いなんて思いません。
そしてやっかいなのは人格障害というものは本人に自覚がない限り、治療することは難しいということ。
人格障害によって発生する症状(躁鬱など)は治ることはあっても根本的な性格が治らない限り、また再発する。
今回の判決に対して「死刑にしろ」とは絶対に言いません。
ある意味、本人には自覚がないというのは正しいと思います。
彼女はある意味「かわいそうな」女性とも言えます。
ただ・・・日本の場合の無期懲役には仮釈放があります。
今の現状では無期懲役といっても15年ぐらいで仮釈放になるそうです。
上の理由があるので有期刑はもちろん仮釈放は危険なんです。
だから今回の裁判官が「仮釈放には慎重に」という苦渋の決断を思わせる内容が出たと考えます。
もし、終身刑が日本にあれば迷わず判決したと思います。
世の中、自分の意志で人を傷つける悪い人間もいます。
彼女の場合はその「意志」はありません。
でも意志がなく人を傷つけるほどこわいことはありません。
そして被害者にとって傷つけられたという事実は変わりないのです。
よく殺人事件で責任能力が問題になりますが、
「責任能力欠如≠悪くない」
被害者にとっては責任能力がどうあれ殺された事実には変わりないんです。
もうすぐ裁判員制度がはじまります。
感情論はいけませんが、もっと被害者の心情というものを考えて欲しいですね。